夏の盛り、土用の丑の日ともなれば、香ばしい蒲焼きの香りが日本中を包む。漆塗りの重箱に整然と盛られたうな重。その上に、ふたがそっと載せられている。だが、食べ始める前にそのふたを「裏返す」しぐさを見かけることがある。これを「粋」と評する人もいれば、「意味があるのか」と首をかしげる人もいる。果たして、うな重の蓋をひっくり返すのは本当に粋なのだろうか。

蓋を返す所作の由来
うな重に限らず、日本料理では器のふたを返して小皿代わりに使うことがある。これは江戸時代の町人文化に由来する。うな重のふたは平らで安定しており、香の物や山椒を取り分けたり、骨せんべいを置いたりするのにちょうどよい。食器を余分に出させず、手元のものを工夫して使う。この合理性こそが「江戸っ子の粋」とされた。
さらに、ふたを返すことで「もう一品の場」が生まれる。漬物を少しかじりながら鰻を味わう、あるいは肝吸いとの合間にひと呼吸置く。ふたは単なる覆いではなく、食のリズムを作る脇役に変わるのだ。
「粋」と「野暮」の境界線
江戸の町人たちにとって、「粋」とは派手さではなく、簡素さの中に美意識を見出すことを意味した。重箱のふたをひっくり返すのも、店に余計な手間をかけさせず、自分の手元だけで完結させる潔さに通じる。
一方で、わざとらしく大げさに返せば「野暮」と見なされた。あくまで自然体で、必要だから返す。それが本来の姿である。文化として定着する過程で「粋な作法」と誤解されがちだが、実際には利便性とさりげなさの産物だったのだ。
現代のうな重と蓋の役割
現代の飲食店でも、うな重にはふたが付きものだ。しかし用途はやや変化している。
・提供時に香りを閉じ込め、客がふたを開ける瞬間に立ちのぼる香気を演出する
・食べ終わった骨や漬物を置く小皿代わりになる
・食べ残しを隠し、見た目を整える
こうした役割を考えると、ふたをどう扱うかは客の自由に委ねられている。返して使うもよし、横に置くもよし。ただし、老舗店では「返したふたに直に漬物を置くのは避け、懐紙などを添える」など、店側が細やかな配慮をする場合もある。
「テーブルを汚したくない」現代的な理由
今日の食卓では、もっと単純で実用的な理由からふたを返す人が多い。テーブルに直置きするのは抵抗があるし、返せば安定する。漬物や骨を置くのにも便利で、衛生的でもある。かつての江戸町人が「合理性」を粋と呼んだように、現代人もまた実用を優先して自然にこの所作を取り入れているのだ。

うな重の味と「粋な余韻」
実際にうな重をいただくと、ふたの存在は意外に大きい。ふたを開けた瞬間の香りの立ち上がり、照り輝くタレの艶、炭火の香ばしさ。それを受け止めた後、ふたをひっくり返して小皿代わりにすると、食卓にリズムが生まれる。漬物の塩気で口を引き締め、再びうなぎの脂と甘辛ダレへと戻る。
こうした流れは、まるで江戸前寿司の「ガリ」の役割にも似ている。口直しと余白があることで、主役の美味が際立つのだ。
まとめ
うな重のふたをひっくり返す行為は、単なる「粋な作法」ではなく、江戸町人の合理的な工夫に端を発している。
・小皿代わりとしての利便性
・余分な器を使わない潔さ
・食事のリズムを整える効果
・現代では「テーブルを汚さないため」という実用的な理由
その背景を知れば、現代の私たちも「粋」を演じるのではなく、自然体でふたを使いこなすことができるだろう。次にうな重を前にしたとき、香りを楽しんだ後に、さりげなくふたを返してみてほしい。その一挙手一投足に、江戸の粋がふっと重なるはずだ。
筆者もまた、はじめは「テーブルを汚したくないから」という単純な理由でふたを返していた。しかし背景を知ることで、そこに江戸の合理性と美意識が重なっていることに気づいた。所作一つにも文化が息づいているのだと思うと、うな重の味わいはより深みを増す。
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