明治に始まる東京の味──コロッケそばの知られざる発祥物語

※当サイトはPR広告を使用してます。

立ち食いそばの定番として多くの人に親しまれている「コロッケそば」。一見ジャンクな組み合わせに見えるが、実はそのルーツを辿ると、明治の東京にまでさかのぼる。庶民の舌をつかんだその魅力と変遷を、改めて紐解いてみたい。

明治の随筆に登場した「コロツケツト蕎麦」

最古の記録として知られているのが、1898年(明治31年)に作家・斎藤緑雨が綴った随筆『ひかえ帳』。そこには、東京・日本橋浜町のそば屋「吉田」で供された「コロツケツト蕎麦」が登場する。これは、現在で言う「コロッケそば」の原型とも言える存在だ。

ただし、当時の「コロッケ」は、我々がイメージするポテトたっぷりのものではない。鶏の挽き肉をすり身にして揚げた“しんじょ”のようなもので、素朴ながらも味わい深い一品だったという。

この歴史を今に伝えるのが、銀座に店を構える「そば所 よし田」。1885年創業の老舗で、現在でも当時のスタイルを踏襲した「鶏しんじょ入りそば」を味わうことができる。

昭和の駅そば文化が生んだポテトコロッケの台頭

現在、私たちが「コロッケそば」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、あのポテトコロッケがそばつゆにじゅわっと沈んだスタイルだろう。このスタイルが台頭するのは、昭和後期のこと。

1965年創業の「箱根そば」が、1972年に開店した下北沢店で、すでにポテトコロッケを使用したそばを提供していた記録が残っている。同店ではカレー風味のコロッケを使っており、出汁との一体感が特徴だ。

また、大阪の「潮屋 梅田店」でも、1969年からカレーコロッケそばが定番メニューとして親しまれている。関東の濃いめのつゆと異なり、関西の淡口出汁との相性に課題があるとされながらも、根強いファンを獲得している。

東西で異なる味の風景

コロッケそばが定着したのは、やはり関東圏だ。駅の立ち食いそば屋では定番の一品で、朝の通勤客の胃袋を温かく満たしてきた。一方、関西では薄口の出汁文化が根強く、コロッケの油脂との調和が難しいとされ、今もなおニッチな存在に留まっている。

ただ、この“合わなさ”こそが、関西におけるコロッケそばのアレンジ文化を刺激し、カレー風味の工夫などが生まれたとも言えるだろう。

結びに代えて──異色の組み合わせが育てた文化

コロッケとそば。洋と和、油と出汁、やわらかさとコシ。相反する要素のはずが、器の中で溶け合うその一杯には、日本人の食文化の柔軟さと好奇心が詰まっている。

明治の老舗が生んだ“しんじょ”スタイルから、昭和の駅そば文化が育てたポテトコロッケまで。コロッケそばの歴史は、一筋縄では語れない。だが、どこか懐かしく、そして今も確かに愛されている──そのことだけは、変わらない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました