
峠の釜めしを語るうえで欠かせない「器」の存在
群馬県横川駅の名物駅弁「峠の釜めし」は、その味わいだけでなく、独特の丸い土釜に盛り付けられている点でも強く印象に残る。実はこの土釜、栃木県の伝統工芸品である**益子焼(ましこやき)**であることをご存じだろうか。冷めてもなおご飯がふっくらとし、さらに食後は容器を持ち帰って再利用できるという機能性の高さ。今回は、「峠の釜めし」を陰で支える名脇役、益子焼の魅力とその背景について掘り下げていく。

益子焼のルーツと特徴——日用品から芸術へと進化した焼き物
益子焼は、栃木県芳賀郡益子町を中心に生産される陶器で、江戸時代末期の1853年、笠間焼の技術をもとに始まったとされる。元来は農村の暮らしに根ざした素朴で実用的な日用雑器が主であり、壺・甕・鉢・火鉢などが作られていた。その後、20世紀に入り、陶芸家・濱田庄司の登場によって「用の美」を体現する工芸品として再評価され、民藝運動の中心的存在となる。
益子焼の最大の特徴は、「型にとらわれない多様性」にある。粘土の性質はやや粗く、厚みのある素地が多い。釉薬には柿釉(かきゆう)、糠白釉(ぬかじろゆう)、飴釉(あめゆう)などが使われ、柔らかな色調と温かみのある風合いが生まれる。量産的な美しさではなく、一点一点に“ゆらぎ”のある手仕事の跡こそが、益子焼の魅力だ。

釜めし容器としての適性——実用品としての実力
「峠の釜めし」において益子焼が選ばれた理由は、その保温性・耐熱性・密閉性の高さにある。厚みのある土釜は、炊き立てのご飯の熱を逃がしにくく、駅で購入してから食べ始めるまでの時間を美味しさのピークに保つ。また、口径が広く、具材が美しく並べやすい形状である点も、商品設計における重要な要素だ。
さらに、洗って再利用可能であることから、昭和の時代には“釜のコレクター”まで存在した。米の保存容器、小物入れ、鉢植えの鉢など、消費者による“第二の使い道”が生まれることで、容器の存在自体が峠の釜めしのブランド価値を補強していると言ってよい。

焼き物から地域文化へ——益子焼が支えるブランドの物語性
益子焼は、単なる器ではなく、地域のアイデンティティや文化的継承を背負っている焼き物である。釜めしの容器に「益子焼」が使われているという事実は、駅弁が単なる食品ではなく、地域資源の複合的な結晶であることを物語っている。
おぎのやが益子焼を選定した背景には、関東近郊の伝統工芸を活かすことで、食と工芸のコラボレーションを実現するという思想がある。駅弁が移動中の短い時間で消費されるものであるにもかかわらず、器が「手元に残る」という点において、駅弁=使い捨てという常識を覆した画期的なモデルとも言える。
現代における益子焼の意義——工芸と日常の境界を越えて
近年では、若手陶芸家の参入やクラフトフェアなどを通じて、益子焼は再び注目を集めている。峠の釜めしの器も、デザインや釉薬のバリエーションが変化し続けており、限定カラーや記念バージョンも登場するなど、その存在は進化を続けている。
このように、益子焼は「伝統を保ちながらも現代のニーズに応える柔軟性」を持ち、峠の釜めしのような商品と組み合わさることで、“過去の工芸”から“今を生きる道具”へと変貌を遂げている。

まとめ:名物の裏に名陶あり——器を知ることで食が深まる
峠の釜めしを口にする際、我々はつい中身の味や見た目に意識を向けがちだ。しかし、その器がどのような産地から来て、どんな思想のもとに焼かれているのかを知れば、ひとつの駅弁が“文化体験”へと昇華されることに気づく。益子焼——それは、峠の釜めしの名脇役であり、もうひとつの主役である。
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